俳優・宮沢りえさんと、元大相撲力士・貴乃花さんの婚約破棄について振り返ってみました。2人は若くして婚約を発表し、祝福モードに包まれましたが、わずか3ヶ月で破局会見を開いています。世間を賑わせた大物カップルに、一体何があったのでしょうか。宮沢りえさんと貴乃花さんの馴れ初めや破局の真相、そして婚約解消以降どのような人生を送ってきたのか、調査してみましょう。
宮沢りえと貴乃花は婚約破棄した?
宮沢りえさんと貴乃花さんは、1992年に発表した婚約を解消しています。「国民的美少女」とよばれ大ブレイクした俳優と大相撲力士の婚約発表は「世紀の婚約」と呼ばれ、芸能史に残るニュースとなりました。
しかし、そんな世紀の婚約を発表してわずか3ヶ月で、2人はそれぞれ破局会見を開き、婚約解消を伝えたのです。一度は生涯をともにすることを誓い合い、国民に大々的に発表をした2人でしたが、一体何があって婚約を解消することになったのでしょうか。
宮沢りえと貴乃花の出会いから婚約解消まで
それでは、宮沢りえさんと貴乃花さんの出会いから、衝撃の婚約解消までを時系列で見てみましょう。当時大ブレイクを果たし、ドラマやCMで見ない日はないほど人気を博していた、宮沢りえさん。
そんな国民的美少女のハートを撃ち抜いたのは、イケメン力士として知られた貴乃花さんでした。2人がどのようにして出会い、婚約に至り、そして破局を迎えることになったのか、振り返ってみましょう。
【1992年9月】交際スタート
週刊女性プライムによると、宮沢りえさんと貴乃花さんの交際が始まったのは、1992年9月のことでした。その前年にヌード写真集を出している宮沢りえさんの人気と知名度はトップクラスで、弱冠20歳で関脇に昇進していた貴乃花さんとは、まさにビッグカップル。
新聞の見出しでは「貴りえ」と組み合わせた名前で呼ばれていたことからも、国民やメディアの間で認められたカップルだったことに間違いないでしょう。プロポーズは電話だったそうですよ。そして、交際スタートからわずか2ヶ月で、2人は婚約することになります。
【1992年10月】婚約会見を開く
交際から2ヶ月、プロポーズから1ヶ月も経たないうちに、宮沢りえさんと貴乃花さんは2人揃って婚約会見を開きます。
双方の両親の顔合わせは済んでいましたが、今後のことについて話し合われていなかったそう。特に、力士と結婚するとなれば相手の女性は「女将さん」になることが暗黙の了解です。当時大ブレイク中だった宮沢りえさんですが、それでも貴乃花さんと結婚したいという情熱があったのでしょう。しかし、芸能界も相撲界も自分たちだけで決められることばかりではありません。それが、婚約解消という形で表れることになります。
【1993年1月】婚約をスピード解消
世紀の婚約から3ヶ月が経った翌年の1月、宮沢りえさんと貴乃花さんは婚約を解消しました。
それぞれ破局会見を行いますが、宮沢りえさんはグレーのワンピース、貴乃花さんは黄色の着物という対照的な装いだったことも、2人にとっての婚約解消に対する温度感が伝わってきました。
【参考サイト:文春オンライン】
破局会見では、2人とも明確な理由については明言を避けていますが、共通していた言葉は「気持ちが通わなくなってしまった」というもの。お互いの家族や仕事を通して話をするうちに、双方が諦めてしまったような印象を受けました。
【参考サイト:文春オンライン】
宮沢りえと貴乃花の婚約解消理由は?
宮沢りえさんと貴乃花さんの婚約解消理由は、さまざまなものが推測されています。文春オンラインによると、貴乃花さんは破局会見で次のように語っています。
- 自分の愛情がなくなった
- 家庭と仕事の両立ができないと感じた
- 自分の仕事が充実できないと感じた
- 相手を守ってあげられなかった
しかし、国民は「婚約会見までしたのに、わずか3ヶ月で愛情がなくなるだろうか?」と思ったことでしょう。実は、貴乃花さんはこれまでも「自分が悪者になることで場を収めようとする」性格傾向がありました。貴乃花さんが話した理由は嘘であり、実はほかに深刻な事情があったのではないかといわれています。
【参考サイト:NEWSポストセブン】
宮沢りえの母と美川憲一からの断固反対
宮沢りえさんと貴乃花さんが婚約を解消したのは、宮沢りえさんの母と、家族ぐるみで親しかった美川憲一さんからの反対があったからだとされています。
さまざまなメディアで美川憲一さんが「自分が反対した」と語っていることから、信ぴょう性が高いといえるでしょう。美川憲一さんは、宮沢りえさんの母でマネージャーを務めていた光子さんに助けを求められ、宮沢りえさんに婚約を解消するよう説得したそうです。「あなたは女優として大成功する」「母親の面倒を見なければいけない」という言葉に、宮沢りえさんは号泣していたといいます。
【参考サイト:日刊ゲンダイ】
宮沢りえと母親の”強すぎる”結びつき
宮沢りえさんは芸能界に入り大ブレイクを果たした直後、自身の母親とともに独立しています。事務所という盾なしに宮沢りえさんが一流の芸能人になれたのは、ほかでもない母親兼マネージャーの光子さんのおかげだろうといわれてきました。
宮沢りえさんと光子さんは「一卵性母娘」といわれるほど絆が深く、二人三脚で芸能界を突っ走ってきました。そんな中、一流力士の貴乃花さんと結婚が決まったときには喜んでいたそうですが、徐々に力士と結婚する宿命について考え始め、反対するようになったとか。
【参考サイト:週刊女性プライム】
宮沢りえと貴乃花はその後何してる?
宮沢りえさんと貴乃花さんは、破局してから復縁の話もなければ、共演したり顔を合わせたりする話もありません。お互いに結婚を約束するほど気持ちが通い合っていたにもかかわらず、いわば「大人の事情」で結ばれなかった2人。当時は辛い思いをしたことと思います。宮沢さんは破局後激やせしてしまい、芸能活動がままならない時期もあったとか。しかしそんな失恋を乗り越え、2人はそれぞれの人生の中で確かな幸せと充実を手に入れていました。
宮沢りえは2度の結婚と変わらぬ芸能活動
宮沢りえさんは、貴乃花さんとの破局から16年後に、ハワイ在住の一般男性と結婚しました。同年に長女を出産しますが、7年後に離婚しています。その後、娘の親権を宮沢りえさんが持ち、2年後の2018年に元V6・森田剛さんと再婚しました。
森田剛さんが宮沢さんの名字(宮澤)に入るかたちで入籍し、夫婦で芸能事務所「MOSS」を設立しています。宮沢りえさんはドラマや舞台で、現在もな活躍しています。
貴乃花は”初恋の相手”と結婚
貴乃花さんは宮沢りえさんとの破局から2年後、1995年に河野景子さんと結婚しました。
同年に長男が誕生し、その後長女・次女と3人の子どもに恵まれました。長男・花田優一さんと次女・白河れいさんはタレントや俳優として活動しています。https://x.com/Youko11041/status/1724599616824549828
河野景子さんとは、23年の結婚生活の末に離婚。その後、貴乃花さんが宮沢りえさんと出会う前に交際していた一般女性と運命の再会を果たし、再婚。皮肉にも、宮沢りえさんと婚約する前に出会った「初恋の人」と、生涯をともにする決意をしたのでした。
貴乃花は宮沢りえとの共演希望も?
女性自身によると、貴乃花さんは現役を引退しタレントに転身後「宮沢りえちゃんと共演したい」と周囲に漏らしているとか。しかし、すでにそのとき宮沢りえさんは森田剛さんと結婚していたため、共演は叶っていないそう。バラエティー番組で、宮沢りえさんと親交のある瀬戸内寂聴さんから、宮沢さんについて「ずっと連絡を取っているけど、今幸せですよ」と報告を受けると、貴乃花さんは「それを聞くと…ホッとしています」と安堵した表情を見せました。
【参考サイト:東スポWEB】
まとめ
宮沢りえさんと貴乃花さんの婚約解消について、調査しました。すでに30年以上の月日が経っている、世紀の婚約と衝撃の婚約解消。破局したあの日から顔を合わせることもなかったであろう2人ですが、お互いの幸せを願っていることでしょう。そして、それぞれ素敵なパートナーや子どもに恵まれ、現在も芸能界やスポーツ界で名を馳せる存在です。今後ますますの幸せを祈りましょう!