鳥羽周作さんは人気フレンチレストラン「sio」のオーナー兼シェフ。
ミシュランガイド一つ星を4年連続獲得した腕前から不動の人気を誇ります。
今回は鳥羽周作さんの経歴やプロフィールをwiki的に、また経営する8店舗も紹介します。
鳥羽周作のプロフィール
鳥羽周作さんのプロフィールを紹介します。
本名:鳥羽周作(とば しゅうさく)
生年月日:1978年5月5日生まれ
年齢:45歳(※2023年時点)
出生地:埼玉県戸田市
学歴:仙台大学体育学部卒
家族:妻、子供2人
鳥羽周作さんの生年月日は1978年5月5日。年齢は45歳です(※2023年時点)。
埼玉県戸田市で生まれました。
出身高校は、さいたま市立浦和南高等学校、出身大学は、仙台大学体育学部です。
既婚者で、妻と子供2人の4人家族。
8店舗経営するオーナーシェフです。
鳥羽周作のwiki的経歴
鳥羽周作さんは、サッカーJリーグの練習生、小学校の教員を経て、31歳で料理の世界に飛び込んだ異色の経歴の持ち主です。
鳥羽周作とサッカー
鳥羽周作さんは大学卒業後までプロサッカー選手を目指していました。
サッカー歴は17年〜19年です。
鳥羽周作さんのサッカー歴をまとめてみました。
1986年(8歳):サッカーを始める
1989年(11歳):三浦知良選手との出会い
1994年(16歳):サッカー名門高校・さいたま市立浦和南高等学校に進学
1997年(19歳):サッカー強豪大学・仙台大学に進学
2001年(23歳):小学校教員と社会人リーグ選手とを両立
2003年 or 2005年(25歳 or 27歳):プロサッカー選手への夢を諦める
サッカーを始めたのは小学2年生
鳥羽周作さんがサッカーを始めたのは小学2年生の時です。
サッカーを始めた理由は2つ。
・何かスポーツをやらせたいという両親の意向があった
・周囲が皆サッカーをやっていた
鳥羽周作さんは幼少から喘息持ち。体が弱かったため、体を鍛えるために何かスポーツをやらせたいという両親の思いがありました。
鳥羽周作さんが小学2年生の頃は、リーグ発足へ盛り上がっていた時代で、周囲にサッカーをする友達が多かったのだと思います。
それらの影響を受けて小学2年生からサッカーを始めました。
小学5年生の時にカズと一緒にお弁当
鳥羽周作さんは小学校5年生の時、三浦知良選手と鮮烈な出会いをします。
小学校5年生のときに静岡で大会があり、そのときに三浦知良選手がたまたま来ていて、一緒にお弁当を食べたんですね。当時クロアチアでプレーしていて、日本に帰ってきたばかりのカズさんはめちゃくちゃかっこよかった。
引用:日本サッカー協会(JFA)公式note
鳥羽周作少年は、三浦知良さんから、帽子にサインしてもらった際、
「いつかカズさんと一緒にプレーしたいです」
と伝えました。すると、三浦知良さんから
「待ってるよ」
と一言。
その言葉を胸にサッカーを続けてきたそうです。
麗しい交流ですね!
高校サッカーの名門・浦和南高校でプロを目指す
鳥羽周作さんは埼玉県戸田市内の地元中学校に進み、高校はサッカーの名門であるさいたま市立浦和南高等学校に進学しました。
画像は高校時代の鳥羽周作さんです。
浦和南高校は高校サッカー界における古豪。昭和44年度に高校サッカー三大タイトルを制覇し、一躍有名に。漫画『赤き血のイレブン』のモデルとなったほどです。
浦和南高校でプロを目指し、地獄のような練習をひたすら続けました。
大学サッカーの強豪・仙台大学へ
鳥羽周作さんは高校卒業後、宮城県にある仙台大学体育学部へ。同大学サッカー部は東北の強豪校の中でもトップクラス。
レベルの高さから、学生時代はあまり活躍できなかったそう。
仙台大学では、試合に出られない日々が続き、遊んでしまうなど「不毛の時代」だった
引用:日本サッカー協会(JFA)公式note
と鳥羽周作さんは当時を振り返っています。
大学卒業後、小学校教員と社会人リーグ選手を両立
鳥羽周作さんは大学卒業後、プロサッカー選手になりたいという思いがまだ強くあり、比較的時間がつくりやすいという理由もあって、小学校教員への道に進みました。
小学校教員を務めながら社会人リーグに所属。平日は週4回の練習、土日はリーグ戦という生活を続けました。
サッカーJリーグチーム「横浜FC」の練習にも参加したそうですよ。
鳥羽周作さんの小学校教員に関する具体的な情報はありませんが、平日は週4回サッカーの練習に励んでいたことから、非正規雇用の「非常勤講師」の可能性が高いです。
非常勤講師は、テスト作成や採点はあっても担任を持つことも部活動に参加する必要もありません。
受け持っている授業のときだけ勤務したらよいので、サッカー練習に時間を費やすこともできたと思われます。
25歳前後、プロサッカー選手を諦める
鳥羽周作さんがプロサッカー選手を諦めたのは25歳前後。(「27歳」とご本人が言及している別記事あり)
25歳くらいのとき、大野敏隆さんという同い年のプロサッカー選手のスルーパスとボディコントロールを見て、その時に「こんな人がいるならプロになれない」ことを痛感してしまって。彼のセンスに脱帽し、サッカーをやめることを決意しました。
引用:日本サッカー協会(JFA)公式note
大野敏隆(おおの はるたか)さんは鳥羽周作さんと同い年の1978年生まれ。前橋商業高校から柏レイソルに入団し、ユース代表では中村俊輔さんとともにW司令塔とよばれてチームの中心も務めたプロサッカー選手です。
鳥羽周作さんは大野敏隆さんの技術力に感服し、サッカー選手を諦めたんですね。
鳥羽周作とレストラン「sio」
料理界の鳥羽周作さんの経歴をまとめました。
2009年(31歳):小学校教員を退職した翌日から神楽坂の「DIRITTO」で修行
2012年(34歳):青山の「Florilege」で修行
2014年(36歳):恵比寿の「Aria di Tacubo」でスーシェフ(副料理長)
2016年(38歳):代々木上原の「Gris」のシェフ
2018年(40歳):代々木上原の「Gris」を「sio」に改装してオープン
2020年(42歳):レストラン「sio」ミシュランガイド東京2020 一つ星獲得
2021年(43歳):レストラン「sio」ミシュランガイド東京2021 一つ星獲得
2022年(44歳):レストラン「sio」ミシュランガイド東京2022 一つ星獲得
2023年(45歳):レストラン「sio」ミシュランガイド東京2023 一つ星獲得
小学校教員から31歳で料理の世界へ
鳥羽周作さんはプロサッカー選手になる夢を諦めた時、自分の将来を考えました。
そこで何をしようと思ったときに、刺激を受けたのは当時日本代表として活躍していた中田英寿さんの姿。自分も他の業種で活躍して、何かを極めることで中田英寿さんと肩を並べて話したい、会いたいと思い、料理が好きだったのでレストランの門をたたきました。
引用:日本サッカー協会(JFA)公式note
小学校教員を本職としなかったの?と気になるところですが、鳥羽周作さんは、サッカー選手になるため、比較的、練習時間のとれる小学校教員(おそらく非常勤)を選んだと語っているので、小学校教員を本職とすることはおそらく念頭になかったと思われます。
31歳の時、未経験だった料理の世界に飛び込みます。
小学校教員を辞めた翌日、神楽坂の「DIRITTO(ディリット)」の門を叩き、そこで3年間修行しました。
門を叩いた時、店のオーナーから「カプチーノも入れられないしイタリア語も話せない奴はダメだ」「お前に期待するような事は何もない」と門前払い同然の扱いを受けたそうです。
でも鳥羽周作さんは「カプチーノ作ります。とにかくお願いします」と牛乳を持参して通い続け、そのうち、勝手に練習させてもらって帰るという生活を1ヶ月間続けたそうです。
そのうち年末の繁忙期になり、人手も足りなくなって、雇ってもらったとのエピソードが。
気持ち強過ぎ!
その後、青山の「Florilege(フロリレージュ)」で2年間修業しました。
次に選んだ店は、恵比寿の「Aria di Tacubo(アーリア ディ タクボ )」。そこではスーシェフ(副料理長)を2年間務めたそうです。
2016年3月から代々木上原にある「Gris(グリ)」のシェフに就任。
素質が認められ、その後、同店のオーナーシェフになりました。
そこに行き着くまでの道のりは相当激しい生活だったそうです。
レストランシェフ鳥羽周作の超絶エピソード
プロの料理人を目指す鳥羽周作さんにはこんなエピソードが。
・働きたい店で雇用を拒絶されても「いえ大丈夫です、働きます」と繰り返し、雇ってもらった
・睡眠時間2時間のため厨房で寝てしまうので、300度のオーブンで手や腕を焼いて目を覚ました
・給料を3ヶ月分位もらわなくてもいいと言って、店に泊まり込んで働いた
画像は青山の「Florilege(フロリレージュ)」で働いていた時の鳥羽周作さんの手のようです。
こうした努力の末、10年以上ものキャリアの差を埋めることができたのでしょうね。
2018年7月レストラン「sio」リニューアルオープン
鳥羽周作さんはレストラン「Gris」のオーナーシェフとなり、その後、独立を決意します。
その大きな理由は、
このとき僕は40歳前後、2人目の子どもが生まれるという状況で。雇用され続ける事に不安を感じ、独立することを決意しました。それがこの店、「sio」です。
引用:リクナビNEXTジャーナル
2018年7月20日、レストラン「Girs」を「sio」に改装してリニューアルオープンしました。
「sio」という店名の由来は2つあります。
sioの店名の由来は2つ。塩加減を大事にしていることと、『周作 いつも 美味しい』の頭文字を並べました。
引用:PR RIMES
「sio」のロゴや名刺は「くまモン」の生みの親・水野学さんがデザイン。
「sio」店内に流れる音楽は、有名DJ・沖野修也さんが手がけました。
「sio」のテーブルウエアは、プロダクトデザイナー・鈴木啓太さんが担当したそうです。
一流の方々にお願いしている理由は、
一流の人とジョインしてセンスの良い店を作っていけば、初期投資はかかりますが減価償却が終わってもそれぞれのクリエイターの名前が残ってく。一流の価値は変わらないんです。
引用:リクナビNEXTジャーナル
との信念からのようです。
レストラン「sio」から人生の再スタートを切った鳥羽周作さんの料理人としてのモットーは「幸せの分母を増やす」こと。
お客さんには値段以上の付加価値を提供し、従業員には高い給与を支払う。
そうした価値観の追及によって、ミシュランガイドで4年連続一つ星を獲得し、予約の取れない人気店になりました。
料理界の現場の厳しさを知り、料理の技術を習得し抜いた苦労があって、今があるのですね!
鳥羽周作は8店舗経営!
鳥羽周作さんがオーナーを務めているのは8店舗です。
東京4店舗、奈良1店舗、大阪1店舗、福岡2店舗になります。
sio(シオ)
2018年7月20日にオープンしました。
元々は鳥羽周作さんがオーナーシェフを務めていた「Gris」を改装。
「sio」にリニューアルオープン直後からミシュランガイド一つ星を獲得しました。
素材の本質を見極めた美しい料理と、想像を超える斬新なコース構成、そこにマッチするペアリングドリンク。おいしいを超えた感動を提供しているとのことです。
Hotel’s(ホテルズ)
2022年10月1日にオープンしました。
「飲食業界の新たなスタンダードを確立したい」と、これまで培ってきた知恵を結集させた店舗です。
ドリンクは、食事の一皿ずつに合わせたアルコール、ノンアルコールをペアリングするほか、自家製のクラフトドリンク、「WORLD BREWERS CUP」世界チャンピオンの粕谷哲さんが監修するコーヒーなどもラインアップしています。
東京都港区北青山3-4-3 ののあおやま 2F
03-6804-5699
o/sio(オシオ)
2019年10月10日にオープンしました。
「o / sio」という店名の由来は、シェフの鳥羽さん自身より、若手が活躍する店のほうが「大事」という意味を込めて「sio」に丁寧語「お」をつけて「o/sio」と名付けたそうですよ。
東京都千代田区丸の内2-6-1 丸の内ブリックスクエア B1F
03-3217-4001
パーラー大箸(パーラー オオハシ)
2019年12月5日にオープンしました。
鳥羽周作さんのこだわりが詰まった昔ながらの洋食やスイーツを提供しているそうです。
東京都渋谷区道玄坂1-2-3 東急プラザ 6F
03-5422-3542
㐂つね(キツネ)
2021年4月14日にオープンしました。
店名には「文明開化の象徴である、すき焼きを奈良で化けさせる」という意味が込められています。
奈良県奈良市元林院町22 鹿猿狐ビルヂング 1F
0742-27-5023
ザ・ニューワールド
2021年3月18日にオープンしました。
音楽からアート、デザインまでこだわった空間の中で、sioのフィルターを通したジャンルレスなこだわり料理を提供する「ポップカルチャー居酒屋」。
大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-8-3 心斎橋PARCO B2F
06-6786-8292
o/sio FUKUOKA(オシオ フクオカ)
2022年4月29日にオープンしました。
o/sio FUKUOKAは、東京丸の内にある「o/sio」を福岡向けにアレンジしたカジュアルイタリアンのお店です。
福岡県福岡市中央区天神1-10-20 B2F 天神イナチカ
092-406-6100
おいしいパスタ
2022年4月29日にオープンしました。
o/sio FUKUOKAと同時開店です。鳥羽周作さんが考える、おいしいど真ん中のパスタを食べることができます。