2023年のWBC日本代表として優勝に貢献した佐々木朗希投手。その後も日本プロ野球界で大活躍し、メジャー全30球団が佐々木朗希選手に熱視線を送っています。
一体、佐々木朗希選手はどういう家庭環境で育ってきたのでしょうか。
今回は、佐々木朗希選手の父や母、兄弟など家族構成を紹介したいと思います。
佐々木朗希はかつて7人家族
佐々木朗希さんの家族は岩手県陸前高田市で暮らしていました。
佐々木朗希選手の家族構成はかつて7人家族。
佐々木朗希さんが小学3年生の時に東日本大震災が発生。自宅は流され、父親と、一緒に暮らしていた祖父母が亡くなりました。
佐々木朗希さんの家族構成は現在4人家族です。
父:佐々木功太(ささき こうた)享年37歳
母:佐々木陽子(ささき ようこ)49〜50歳
長男:佐々木琉希(ささき りゅうき)25歳
次男:佐々木朗希(ささき ろうき)22歳
三男:佐々木怜希(ささき れいき)18歳
祖父:佐々木功(ささき いさお)享年71歳
祖母:佐々木勝子(ささき かつこ)享年69歳
佐々木朗希の父
佐々木朗希さんの父は佐々木功太さんです。享年37歳。
名前:佐々木功太(ささき こうた)
享年:37歳
身長:181センチ
職業:葬儀店勤務
趣味:スノーボード
佐々木功太さんは、野球経験はなく、バスケットボール経験者。
佐々木朗希さんが入団していた高田野球スポーツ少年団では、功太さんもノックを打ったり、ノック時の捕手役を買って出たりしていたそうです。
佐々木朗希さんは父・功太さんとよくキャッチボールをしていました。
高田野球スポーツ少年団の監督を務めていた村上知幸さんは語っています。
「家では、お父さんが毎日のようにキャッチャーをやって、朗希とお兄ちゃんが投げ込んでいたそうです。震災後の大変な時期でも野球を続けたのは、お父さんとの思い出もあるんじゃないかな」(村上知幸氏)
引用:Smart FLASH
子煩悩なお父さんだったのですね。
佐々木朗希の父の職業
佐々木朗希さんの父・功太さんは葬儀屋で働いていました。
功太さんは葬儀店に勤め……
引用:日刊ゲンダイDIGITAL
佐々木功太さんが葬儀屋で働いた経緯はわかりません。
葬儀屋の仕事は、休日や勤務時間より、強い使命感や責任感が必要な仕事といわれています。
そうした職を選択した功太さんの価値観を垣間見る思いがします。
佐々木朗希の父の死因
佐々木朗希さんの父・功太さんは2011年3年11日の東日本大震災の津波で亡くなりました。
東日本大震災の犠牲者の死因の約9割が溺死と分析されています。
佐々木功太さんの死因も溺死だった可能性が高いと思われます。
佐々木功太さんの遺体が発見されたのは3月16日。
佐々木さん一家が、大船渡にある陽子さんの親族の家に身を寄せていた時、訃報の連絡が入りました。
電話口で「見つかりました」とのやり取りの言葉を聞き、佐々木朗希少年は「見つかったの?!」と目を見開いたそうです。
陽子さんは、今でも朗希さんのその表情を覚えているとのこと。
当時9歳だった佐々木朗希さんは、「見つかりました」の真意を汲み取るのは難しかったようです。
あまりにも過酷な現実に、佐々木朗希さんはしばらく家族と会話ができなかったそうです。
佐々木朗希の父の人柄
佐々木功太さんは、若きリーダーとして、元気な3児の優しい父として、陸前高田では知られた人でした。
例えば、佐々木朗希さんのことを「あの功太の、3人息子の真ん中の子」と認知する人が多かったぐらい。
佐々木朗希さんは父・功太さんについてインタビューで語っています。
なんか、僕が言うのもあれですけど、誰とでもすごく仲良くしていて、みんなに愛されていたのかなぁ、と思います。
陸前高田市高田町の名物夏祭り「うごく七夕」などでは、盛り上げ役を担うような人でした。
思いやりがあり、家族でよく通っていた地元の中華料理店には、日頃のお礼にと、アワビの刺身を持っていっていたようです。
佐々木功太さんは、陸前高田市の戸羽太元市長とも面識がありました。元市長は次のようにコメントしています。
「(佐々木功太さんは)有言実行の人。一緒にやろうという仲間作りが上手な人でした」
引用:日刊スポーツ
「気さくで、行動力があって。先輩も後輩も、みんなが付いていって」
佐々木功太さんは人情味があり、地域のために働き、冗談を言って人を和ます人だったのですね。
佐々木朗希さんは、お父さんの良い部分を受け継いでいるのでしょうね!
佐々木朗希の母
佐々木朗希選手の母親は佐々木陽子さんです。
名前:佐々木陽子(ささき ようこ)
生年月日:1973年5月 or 1974年5月
身長:170センチ(推定)
職業:保険営業
佐々木陽子さんは、朗希さんが小学3年の時からシングルマザー。男3人を育ててきました。
佐々木陽子さんは朗希さんの入団交渉時に同席。「とっても美人!」と話題になりました。
目鼻立ちがはっきりしていて、美しいですね!
佐々木朗希の母の職業
佐々木朗希さんの母親・陽子さんは保険営業の仕事をしているようです。
(陽子さんは)今も、保険の営業マンとして活躍されています(地元の住民)
引用:Smart FLASH
東日本大震災当日も、陸前高田から車で30分の距離にある大船渡で保険営業の仕事をしていたところでした。
佐々木朗希の母の人柄
佐々木陽子さんはどのような人柄なのでしょうか。
地元の人々によると、母・陽子さんは「人当たりがすごくいい。息子の活躍にも気が大きくなることなく、謙虚」「しっかりしたお母さん」といわれる人柄。
引用:女性自身
かといって、教育ママのようなタイプではなく、気さくで天然っぽい感じのタイプのようです。
佐々木朗希さんが少年野球チームの打撃練習中、コーチが投げたボールが朗希さんの背中に直撃しました。
コーチは本人だけでなく母親の陽子さんにも謝罪。その際、冗談を言って返し、コーチの気持ちを和らげたそう。
陽子さんは人の心の機微に敏感で、懐が深いのでしょうね!
佐々木朗希の母の苦労
佐々木朗希さんの母親・陽子さんは多くの苦労をされました。
「大きい息子が3人いるから、仮設住宅だと狭くて、寝るときも大変だったみたいですね。仮設に入居した当時、お父さんを亡くしたお母さんは毎日、泣いていたって聞きました。
引用:女性自身
3人の息子が育ち盛りになるとますます大変。
長男と三男も野球をしていたため、1週間で米10キロを消費していたといいます。
働きながら、女で一つで3人男の子を育てるのは言語に絶するご苦労があったと思います。
佐々木朗希から母への感謝
働きながら、懸命に子供の成長に心を砕く母・陽子さんに対し、佐々木朗希さんはどのような感謝の表現をしたのでしょうか。
小学4年の母の日、佐々木朗希さんは、近所の100円ショップで購入したタオルハンカチを贈りました。
とても喜んでくれたのを鮮明に覚えています。値段ではなく、プレゼントをするという気持ちが大事だと思いました。
小学5年の母の日、佐々木家念願の新居でこっそり買ったロールケーキをガレージに隠し、夕食後に渡したそうです。
陽子さんの誕生日が「母の日」に近いため、佐々木朗希さん3兄弟で、感謝と祝福の気持ちを伝え続けてきたとか。
今、こうやってプロ野球で野球ができているのは母のおかげだと思っています。
2021年5月27日、佐々木朗希選手がプロ初勝利を飾ったヒーローインタビューでのこと。
ウィニングボールを誰に渡すかを問われた佐々木朗希選手は「両親に渡したいと思います」と即答しました。
佐々木朗希ヒーローインタビュー
— マリーンズ応援宣言 (@forever_marines) May 27, 2021
Q「プロ初勝利のウイニングボールはどうされる予定ですか?」
朗希「両親に渡したいと思います。」
泣ける。 pic.twitter.com/pqTtKgpQiU
佐々木陽子さんは、朗希さんが「両親」と言った言葉を聞いて号泣したそうです。
実家の仏壇に飾っているというプロ初勝利のウイニングボール。
支えてくれた父母への感謝の結晶ですね。
恩を忘れない佐々木朗希さんの人柄が伝わります!
佐々木朗希の兄弟
佐々木朗希の兄
佐々木朗希さんの兄は佐々木琉希さんです。朗希さんより3歳年上です。
名前:佐々木琉希(ささき りゅうき)
生年月日:1998年
職業:大手広告代理店勤務
出身高校:岩手県立大船渡高校
出身大学:東北学院大学・教養学部
佐々木朗希が野球を始めたきっかけの兄
佐々木朗希さんが野球を始めたきっかけになったのが、兄・琉希さんです。
かつて佐々木朗希さんが所属した、高田野球スポーツ少年団監督・村上知幸さんが語っています。
「3つ上のお兄さん(琉希さん)も同じチームで、ピッチャーをやっていたんです。それに憧れてか、朗希もピッチャー志望でした」
引用:Smart FLASH
佐々木朗希さんが兄・琉希さんと同じチームでプレーしたのは1年間だけ。
琉希さんが小学6年生、朗希さんが小学3年生の時でした。
同じチームでプレーする琉希さんの姿が、朗希少年の胸に強い印象を残したのかもしれませんね!
佐々木琉希さんは、朗希さんの才能も伸ばしていきました。
「佐々木の才能を伸ばしたのは、3歳年上の兄・琉希(りゅうき)氏だ」
引用:FRIDAYデジタル
自分が野球を通じて感じてきたことを、すべて伝えてきました。朗希は回転がきれいな球を当時は投げられていなかったので「手首を強くしなくちゃダメだよ」とかですかね。
佐々木朗希さんの負けん気の強さを見抜いて、「お前レベルの選手は大勢いる」とあえて突き放したこともあるとか。
大船渡高校野球部で4番打者だった兄に認められたいと、佐々木朗希さんは猛練習に励みました。
中学3年になった佐々木朗希さんが140キロを投げるようになった頃、琉希さんは、朗希さんへのアドバイスが質問に変わったそうです。
佐々木琉希さんから刺激を受け、朗希さんは自分で勉強しながら野球に取り組むようになったんです。
兄弟だからこその高め合いですね!
佐々木朗希の父親代わり
佐々木琉希さんは、母の陽子さんが「父親代わりになってくれた」と感謝するほど、佐々木家を支えてきました。
父親のように時には厳しく接したこともあったとか。
自分がしっかりしないと、という重圧があったのかもしれません。
そんな中でも、弟思いの佐々木琉希さん。
朗希は手足が長いので、なかなか大船渡ではサイズの合う洋服がないんです。だから外国製で似合うかなと思う服を見つけたら、誕生日とか関係なくプレゼントしてあげています。
野球以外でも大の仲良しです。
佐々木「朗希」の名付け親?!
佐々木「朗希」の名付け親が佐々木琉希さんといわれています。
2001年、当時3歳だった佐々木琉希さんが好んで観ていたのが、特撮ドラマ「百獣戦隊ガオレンジャー」。その中に「狼鬼(ロウキ)」という強敵キャラがいました。
佐々木琉希さんは、朗希さんが誕生した時、「ロウキがいい」と言いました。
陽子さんは、
悪役だけどかっこいいし、響きもいい。
と納得。
大人も見てたからすっと入ってきて、人とかぶらないしいいんじゃないかと思った。
結果、「佐々木朗希」に決まりました。
「ロウ」が「郎」ではなく「朗」という字にしたことも意味があるのかもしれませんね。
佐々木朗希の弟
佐々木朗希さんの弟は佐々木琉希さんです。朗希さんより4歳年下。現在、高校3年生です。
名前:佐々木琉希(ささき れいき)
生年月日:2005年度生まれ(※2023年時点、高校3年)
身長:177センチ
体重:68キロ
高校:岩手県立大船渡高校
出身中学:大船渡市立第一中学校
少年野球チーム:猪川野球クラブ
佐々木怜希さんは、長兄の琉希さん、次兄の朗希さんと同じ大船渡高校の野球部員。
高校1年生からベンチ入りし、右投げ右打ちの内野手として活躍中です。
最高球速は137キロ。中学時代から俊足だったようですよ。
兄たちの野球センスをバッチリ受け継いでますね!
2023年3月11日に行われたWBCの試合は、母親の陽子さんと一緒に観戦しました。
兄の朗希さんとも頻繁に連絡を取り合っているようです。
メジャーからも注目を受ける兄・朗希さんの存在は、大きな刺激となっていることでしょうね!
佐々木朗希の祖父母
佐々木朗希さんの祖父は佐々木功さん、祖母は佐々木勝子さんです。
名前:佐々木功(ささき いさお)
享年:71歳
職業:家具店経営
祖母:佐々木勝子(ささき かつこ)
享年:69歳
佐々木朗希さんは、祖父母と一つ屋根の下で暮らしていました。
東日本大震災の津波によって自宅が流され、祖父母は犠牲者となりました。
祖母の佐々木勝子さんが発見されたのは、父親の功太さんが発見された翌日の3月17日。
祖父の佐々木功さんはいまだ行方不明者となっています。
佐々木功さんは家具店を経営していました。
朗希の祖父は、陸前高田で家具店を営んでいたという。
引用:日刊ゲンダイDIGITAL
佐々木朗希の両親の子育てルール・教育方針は?
早寝の習慣化
母親の佐々木陽子さんは子育てについて、
特に何もしていません
と語っていますが、3人の子は皆、大きく育てたいとの思いが根底にありました。
「“寝る子は育つ”で、大きく育てたいと、お母さんは早寝をさせていたそうです。小学生のころは20時に就寝していたとか。佐々木選手はプロになってからもその教えを大切にしていて、いまも早寝を心がけているそう」(スポーツ紙記者)
引用:女性自身
子供を夜8時に寝かすことは労力が要りますが、それを徹底してこられました。
早寝の習慣化も影響して、佐々木朗希さんは192センチ86キロと堂々とした体格になったんですね!
ご飯をたくさん作る
佐々木朗希さんが高校3年生の頃、ご飯3合とおかずを詰め込んだ弁当を持たせていました。
佐々木朗希さんが好きな母の手料理は何だったのでしょうか。
ハンバーグです。肉と一緒に豆腐が入っている。お店のハンバーグが食べられないくらいおいしいです。特製ソースもおいしくて、たっぷりつけて食べると最高です。いつもたくさん作ってくれて食べたいだけ食べていました。
引用:日刊スポーツ
愛は食卓にあり、ですね!
両親の教育方針は?
佐々木陽子さんは、子供の成長をしっかりと考えながらも、子供の意志を尊重していたようです。
(陽子さんは)子供の意志を尊重する放任主義だそうです。
引用:Smart FLASH
(息子の)希望に応えるようにしていました。
子供の健康な体力づくりに力を注ぎ、子供の意志を尊重する。
それが、佐々木家の教育方針の一つなのかもしれませんね!